孤独の深海へ (編集済み)
係員の手配ができない。という理由で、
電車に乗るまで1時間待ち。
乗車時間は11分。
数分おきに電車が入線してくる。
それを虚しく見つめるだけ。


駅に出来たエレベーター。
北口ー南口を横断する自転車さんの列。
車椅子の存在に気付いても、譲ってくださる方は年に数人。
何回も待つ。
エレベーター横に貼ってある優先者ステッカー。
誰も見ないよ。
見ても効果なんてないよ。

自転車に乗れるほど元気で、
それを使えば、便利な人が、より便利になり、
それしか使えない人が、待たされる。
中には、「すいません。」と謝って先に乗っていく人もいる。
どういう意味の「すいません」なのか?

「車椅子のあなたの方が優先順位は先だってマナーは知ってるけど、譲らなくてすいません。」って意味なのだろう。

満員のエレベーターで私から目をそらす人達も同じ気持ちなのだろう。

電車の車椅子スペースも、何も言わずに移動してくれる方もいるが、
頭を下げなければ譲ってもらえない時も多々ある。
頼めば譲ってもらえるなら、頼めばいいでしょ。って考えもあるだろうけど、
電車に乗る度に、
毎回毎回頼まなければならないってことが、
そもそもどうなのだろう?って疑問がある。
最近は、最寄駅から乗る時は駅員さんにスペースを空けてもらえるよう言ってもらっている。
駅員さんが言うと、大多数の方が移動して下さる。

でも、中には、

「移動してください。」
「……」
移動しない。

「移動してください。」
「どうしてもどかなきゃダメですか?」
「はい、お願いします。」
「チェッ。」
嫌々移動。


自力で車椅子スペース確保のお願いをしなければならない時もある。
いつこういう人と対峙しなければならないか分からない。
いつも、相手がどういう対応をするかハラハラしながら声をかけている。

本来なら、
ハラハラなんぞせずに乗れる様に用意されたスペースなのに、
毎回ハラハラしている。




仕事終わりにみんなでどこどこ行こう。
いつどこでロスタイムが発生するか分からない私は一緒に行けない。
ひょいひょい移動できるみんなを道ずれにしてしまう。

行ったことがない場所であるなら尚更。
駅にエレベーターはある?
目的地までに越えられない段差はない?
歩道は車椅子が通れる幅?

色々なリサーチが必要。
リサーチ仕切れず、
現場でこの先進めないとなれば、
そこで断念。
それが私にとっては普通の暮らし。
普通にしなければならない暮らし。



みんなといるけど、
みんなと違うルールの中で生きてる。





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【2015/09/29 12:26 】 | 想う事 | コメント(0) |
いつも寄り添ってくれてありがとう
仕事は好き。
こうすればもっと効率よく出来るかも。こうすればもっとお客様に喜んで頂けるかも。

いろんなアイデアが頭の中にいっぱい入ってる。
頭の中では、手順~完成形まですでに出来上がってる。

でも、これを頭の外に出すのに必要なものが、
私にはすごく足りない。

それは、

体力。

頭で描いたものを具現化するには、
どうしても体力が必要。
体力と言っても、
重労働ではない。

ExcelやWordを使って具現化する場合にも、打ち込む体力が必要。
私には、それが足りない。
骨盤から胸骨の下半分までコルセットでガッチガッチに固めても、
痛みなく座位保持ができるのは、20分くらい。

元気な人なら、体力を使う、と言うほどのものでもない動作でも、
私には重労働。
だから、
頭の中から取り出すのに時間がかかる。

もどかしくってイラつく。
この体が情けなくなる。
他人と比べない。なんて、分かりきってるけど、健常者の中で働くって、結構キツい。
みんなが普通に持ってるものを自分だけ持ってないんだもん。

やりたいこと、と、やっていいこと、がイコールでないことは、
ここ数年幾度も痛い目に遇い思い知った。
今は、痛手から学習し、
あえて、全力が100だとしたら30位に抑えている。

30に抑えたからって手抜きはしたくない。

計画を立てて一つ一つの業務をタイムリミットの近い順から片付けていく。

忙しくても慌てない。慌てると余計な体力を使うから。
30でも100の人と同じ効率で仕事ができるように、
様々な工夫をしている。

事前に準備できることは前日または当日にやっておく。
一連の作業が最短で済むように配置を変え、動線を短くしている。

焦った時に一番最初にやることは、
落ち着くこと。
これからイレギュラーなことをする場合、まずは頭の中でシュミレーションをする。
あとは、シュミレーションに沿って一つずつ確実にこなしていく。



出来ないことをやらない。よりも

出来るけどあえてやらない。の方が、ずっと辛い。苦しい。悔しい。


葛藤の日々。
みんなといても、ひとりぼっち。
そう感じる時がある。

そんな孤独の海に堕ちそうな日々でも、私のそばには、私の悔しさを感じ取り、見守ってくれる神のような人がいる。

連休前、私はイライラがピークに達していた。
部屋でひとり残業をしているとき、
神が私の仕事を手伝おうとしてくれた。

それなのに、こともあろうか、私は噛み付いた。

歩き回る業務を控えている私には、書類のチェックは、「私ができる仕事」のひとつ。

でも、座りっぱなしの作業だから体は痛む。
普段なら疲れの少ない時を見計らってやる業務だが、
私は意地になっていて制限範囲をオーバーしてまで仕事をしていた。

神はそれを知っているから手伝おうとしてくれたのに、
私は仕事を取られたような気持ちになった。

チェックの終わった書類の束を無造作に掴み、床にぶちまけた。

神は、黙って紙を拾い、何事もなかったかのように、私の仕事を手伝い始めた。

こんなにいい子に私は何やってんだろ。私は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ。

後悔と贖罪の涙がこぼれてきた。
別の部屋で40分ほど仕事をして頭を冷やし、神に仕事の相談をしにいった。

声をかけると、いつもと同じように「ん?どした?」

どこまで優しいのよ、神さん。

「相談の前に、謝らなきゃ。さっきはごめん。拾ってくれてありがとう。私自身の葛藤は、私が解決しなきゃいけないのに、八つ当たりだよね。ごめんね。」

神は、私が思う以上に、私の葛藤の中身を知っていて、友達として何が出来るのか、どこまで手を出していいのか、神も葛藤していた。私のために。


ふたりで泣いて話をした。
そのあとは、何もなかったかのように、いつも通りの凸凹コンビに戻った。

バカっ話をしながら、駅まで一緒に帰った。

またね。

またね。


もしいるのなら、神様。

私のそばにいつも神がいるように導いてくれて、

ありがとう。
【2015/09/24 13:28 】 | 想う事 | コメント(0) |
幸せってなんだろう。
「幸せ」ってなんだろう。

長いこと考えていたけど、
昨年の、
寒い夜の帰り道。

ふと、
こう思った。

「「幸せってなんだろう。」って考えてるその瞬間が、もう幸せなんだな。」

って。

ああー!幸せだーっ!
って瞬間と、

あぁ、幸せだなぁ。
って瞬間と、

あっ、ありがとう。
って瞬間と、

いえいえ、どういたしまして。
って瞬間と、

うふふ、なんかホッとするな~
って瞬間と、

んーー、べつに、可でも不可でもないな、
って瞬間。

これらは全部、幸せな瞬間。

その合間合間に、
いやだな。
悲しいな。
辛いな。
苦しいな。
悔しいな。
虚しいな。

って気持ちが入ってくる。

でも、
そういう心がヒリヒリする時も、
大抵は、なんらかの「幸せ瞬間」が、
そばに寄り添っている。

それに気付いてから、

私が本当に不幸せだった時って、
今までの人生でふたつだけなんだ。
と、思った。

大切な家族の命が奪われた時。
私自身が犯罪の被害に遭った時。

このふたつは、
今も心に重い影を落としているし、
姿を変えながらも、
一生、私の中からは消えない影。

でも、
日々の暮らしの中で、
こっそり寄り添ってくれている幸せに気付いたら、

癒えぬ悲しみと共に生きることに対して、
否定しなくなった。

そのままでいい。
泣きたいだけ泣いていい。

今はまだ、
心の傷口からドクドクと血が流れているけれど、
そのままでいい。

血が止まらないのなら、
幸せ輸血をしながら生きていけばいい。

そう思えるようになったら、
空が今までよりも青く見えてきた。

【2015/09/07 23:36 】 | 想う事 | コメント(1) |
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