どうして?
外出先で人と関わる時、

例えば、
駅員さんと話す時。
店員さんと話す時。

私一人だと、私と会話するのに、
誰かが一緒だと、
私が話しかけたのに、
返事を一緒にいる人にすることがとても多い。


おーい、私が聞いたんだから
私に答えてよ。


そして、
車椅子を使っているだけで、
こちらが敬語を使って話しても、
子供を相手にするように接する人がいる。


おーい、ひとりの大人としての接してくれ~。


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【2014/02/26 19:00 】 | 日記 | コメント(2) |
つなちゃんがフィギュアスケート
したらこんな感じかしら?



いや、こうかな?



こうだろうな。。。



つなちゃんもえおたんも、
癒し金メダル受賞だよ。
【2014/02/23 22:49 】 | ペット | コメント(0) |
先生 、お願い
新しい義肢装具士さんに、
私の経緯を話すのは構わないけど、

以前のカルテと写真を見ながら、

「元気だった頃。」

って言うのは、


私が居ない場所にして欲しいな。


先生の性格からしたら、
悪気がないのは分かるけど、
同じ一言でも、
医師の言葉は、
重たい。



冷静を装っているけれど、
体に心が追いついていかないの。

怖くて堪らないけれど、
踏ん張って心で泣きながら立ち向かっているの。






【2014/02/23 21:22 】 | 病気 | コメント(0) |
雪 2月10日
2月10日

この日も雪かき。
体の限界はとうの昔に超えていることはわかっていた。

それでもやるしかない。

私は、人に助けを求めることが非常に苦手だ。

いじめのこと
病気のこと

それらのSOS全てが誰にも届かなかった子供時代の苦い記憶。

いつしか、助けを求めるという選択肢そのものが私の中から消えていた。


今はもうあの頃とは違う。
私は大人になったし、
環境も関わる人も変わった。

母の股関節には人工股関節が入っている。加齢に伴う関節疾患も抱えている。
父は幼い頃ポリオに罹り小児麻痺だった。
足に障害のある両親の元に生まれ、親の足を気遣いサポートするのが当たり前になっていた。
どんなに足が痛くても、電車に乗ればまず先に父を座らせその次に母。私は最後。
私が先天性の難病だと分かる前だったから両親も私の関節痛が激痛であることに気付かなかった。
心配かけまいとした私の演技もそれに輪をかけたのだろう。

でも、今は違う。
難病の診断がついた時に、
慢性関節痛があり、
痛みに耐えていることを両親に告白した。

父は他界してしまったが、
母には、子供の頃のことも話し、
コミュニケーションを重ねることで、
以前とは違う良好な関係を築きはじめている。



今はSOSを出せば気づいてくれる人が必ずいる。
頭では分かっているが、

分かっているのにできない。
一歩が踏み出せない。
それがすごく苦しい。





昨日の反省をふまえて車椅子を連れて雪かきに出た。
痛む両手首にはテーピング代わりに包帯をきつめに巻いた。

この日の雪かき開始場所はマンション敷地外。
更地の横の歩道。

人ひとりが通れる道ができていた。
拡張作業開始。


車椅子を連れての雪かきでも、
通行する人の反応は変わらなかった。

車椅子イコール歩けない
という固定観念があるから、
車椅子の前で雪かきしてる人が当事者だとは思わないのだろうな。
装具は防寒着の下に着けているから、見た目健常者に変わりない。


ありがとう。
ごくろうさま。

声をかけてくれるだけありがたい。


ひとり悲しい声かけがあった。

「車椅子邪魔よ。」

そう言って、私が拡張した道を歩いて行った女性。




午後からは母がちりとりと園芸用の小さいスコップを持ち手伝いにきてくれた。

更地横の道の雪かきが済み、
次の通りに取り掛かっていると、
近くで雪かきをしていた男性に話しかけられた。


wさんといい、通りに面したマンションにお住まいの方だった。

この地域に車椅子利用者数名がいるから、その人達も通れるようにと、
道幅を広げて下さっていた。


私が車椅子利用者本人であること、
雪かきをしないと駅まで行けず仕事にも行けない状況であることを話した。

すると、
「無理しちゃダメです。あとはやっておくから、あなたはもう体を休めなさい。」
と仰って下さった。


もう一人別の場所で雪かきをしていた男性も加勢してくれて、
私と母はお言葉に甘えて体を休めることができた。


地獄に仏


とはこのことか。

感謝の一言ではこの気持ちは表せない。



翌日は祝日で仕事は休み。
午後、駅までの道を通ってみると、バス通りまで見事に雪かきして下さっていて無事に駅まで着けた。


また、職場の最寄り駅周辺を同僚が月曜日の業務終了後に1時間半も雪かきをしてくれたおかげで、
そこも安全に通ることができた。
本当にありがとう。



こうして雪との格闘は終わった。








はずだった。
【2014/02/23 21:18 】 | 日記 | コメント(0) |
雪 2月9日 ④
昼前に目が覚めた。
意識が鮮明になっていくと同時に痛みも鮮明になっていく。


起き上がりたくない。
でも、まだやらなきゃ。



午後、また雪かきに出た。
他の人の通行の妨げになっては申し訳ないと思い、車椅子は置いて行った。


この判断が誤りだったと、後から気付くことになる。


駅への道には、人がひとり通れるほどの雪かきがしてあった。

私はその道を拡張し始めた。

人が通る度に作業を辞めなければならず、はかどらない。

無言で通る人もいれば、
ありがとう
ごくろうさま
と、声をかけていく人もいた。
しかし、
手伝うよ
と、言う人はひとりもいない。


そりゃそうだ。
見た目だけなら、私は健常者に見える。
親切な若い女性がボランティアで雪かきしている。
としか見えない。


マンション敷地内の拡張を終えたところで日がくれて、
この日の雪かきは終了。


翌日の出勤は諦めた。

駅までの道のりは、まだ果てし無く遠い。



全身に湿布を貼る。
掌が赤く腫れてきた。

左腕の痛みが特に酷い。


痛みに耐えて眠りについた。


【2014/02/23 18:49 】 | 日記 | コメント(0) |
雪 2月9日 ③
2011年3月11日

私は職場にいた。

情報がなく、都内の交通網が閉ざされていたことも知らず、
定時まで仕事をして帰ろうと駅に着いた時に、
初めて異変に気付いた。

モノレールとJRを乗り継いでの帰宅だが、JRが全線運休になっていることを知った。
モノレールは動いていたので、自宅に1番近い駅まで行くことにした。
自宅まではそこから徒歩(車椅子)で1時間ほど。

ところが、エレベーターが全ての駅で停止していて、ホームに上がれなかった。
モノレールは動いているのに乗れず、
帰宅難民となった。
職場近くの友人宅に泊まらせてもらい難は逃れたが、
自分はエレベーターがないとその瞬間に帰宅難民になると知った。

その後の鉄道混乱と計画停電の影響で10日間の自宅待機となり、
復帰後も職場と我が家の地域は計画停電の直撃を受けた。

職場最寄り駅のエレベーター、
自宅マンションのエレベーター、
計画停電中はどちらも止まる。

職場と自宅でグループが違ったので、それぞれの停電時間を避けて勤務した。
自宅のエレベーターが止まるまでに帰宅しなければならず、
なくなく早退したこともあった。

電気がないと孤立する。
混乱した社会では弱者は社会的に抹殺される。

強い恐怖に縛られた。
震災に関する話、
節電、停電というキーワード、
電車遅延、
これらのどれかに触れると、強い恐怖に襲われ、
いてもたってもいられなくなった。

震災によるPTSDと診断された。
こちらのPTSDは急性期から治療を始めることができたので、
半年ほどで急性症状から離脱し、
一年後には恐怖を誘発するキーワードに触れても自身で感情をコントロールできるようになった。



でも、2月9日は無理だった。

車椅子の車輪が半分ほど埋まる積雪。
自宅のエントランスを出て駅に向かう最初の道は、
向かいの棟の影になり一日中陽が当たらない。

このままでは、雪がとけるまで仕事に行けない。
その目処さえ立たない。
私だけ社会的に孤立する。


抑えきれない恐怖が沸き起こり、
「自分を助けてくれるのは自分だけ。」

このふたつが揃ってしまったら、冷静な判断は出来なくなってしまった。


関節に負担をかければそれだけ進行する。

わかっていたのに、
ちりとりを持って外に飛び出した。

9日、午前4時。

立っての作業は困難なので、
しゃがみ込み、
重たいものは持てないので、
何層にも分けて少しずつ雪をちりとりに乗せ脇に置いていく。
10cm掘り進んだら立ち上がり一歩前へ。
ひたすらその繰り返し。
2時間かけてここまで雪かきをした。


帰宅後風呂に入り、
早くも痛み出した全身の関節に湿布を貼ってベッドに入り寝た。
【2014/02/23 16:48 】 | 日記 | コメント(0) |
雪 2月9日 ②
子供の頃の私は孤独だった。

いじめに遭い、学校へ行くことは生き地獄へ行くことと同じ。
教師は見て見ぬ振り。
いじめっ子以外は傍観者。
親には言えず。
中学卒業まで7年間耐え抜いた。

身体の異変が著しく顕れ始め、10歳頃から膝蓋骨脱臼も頻発してきた。
脱臼してもすぐに修復する為、誰にも信じてもらえなかった。
親には、「成長痛」と言われ、
学校で脱臼転倒して激痛に顔を歪めれば、教師と同級生から、「転んだだけで大袈裟だ。」と笑われた。


家では夫婦喧嘩の仲裁に入り両親を落ちつかせるのが役目だった。
夫婦喧嘩が始まると兄は自室に籠ってしまう。
残された私は、私がしっかりしていなければこの家族は破綻してしまうと思い、
必死に両親をなだめた。
食事の時に母は会話がないと不機嫌になるので、沈黙が恐怖だった。
ひとり話し続け何を食べたかなにも覚えていない食卓。子が親よりしっかりしていなければならないことは、
子供にとって余りに酷だ。
親は愛してくれていたのだろうけど、
私には愛されている実感が持てなかった。

孤独な私の唯一の救いは、9歳の時に産まれた従兄弟の存在だった。
赤ちゃんの従兄弟は、「あのこはいじめられっこ」という色眼鏡で私を見ることなく一人の人間として懐いてくれた。
彼だけが私を必要とし、「生きていていいんだよ。」と言ってくれているようだった。
その従兄弟は、私が10歳の時に亡くなった。何の罪もないのに、理不尽な理由で命を奪われてしまった。
私は、強烈な衝撃を受け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、様々な症状に苦しみ続けた。(今も続いている。)
だが、PTSDを患ったことに私も家族も気付かず、発覚し治療を始めたのは去年。
発症から25年経過していた。


このような子供時代を過ごした私が行き着いた結論は、


「自分を助けてくれるのは自分だけ。」



私にとって、
大人は助けてくれる存在ではなかった。
同級生はいじめなければ自己を満たせない幼稚な存在だった。

壊れそうな心を必死に支えたのがこの言葉だった。
常に自分に言い聞かせ、
薄氷の上を歩くような恐怖に立ち向かっていた。




何か困った時、今でもこの言葉が真っ先に浮かぶ。

「自分を助けてくれるのは自分だけ。」



2月9日深夜、深い雪面を見ながら、
私の脳裏には、
この言葉と、
あの時の記憶が蘇っていた。

【2014/02/23 14:30 】 | 日記 | コメント(0) |
雪 2月9日 ①
今までの経験上、歩行者に踏み固められた雪道は、車椅子の重みで沈み込みほぼ走行不可能。

雪かきしてある道でも、人ひとりが通れる幅ばかり。
車椅子は通れない。


でも、大多数の人は歩ければいいのだから、
倍の労力を使い70cm幅の雪かきをする必要などない。


さらに、私の住む公団住宅には、積極的に雪かきをする人は数えるばかり。しかも、ほとんどが高齢者。
9日もそうだったが、若いお父さんは我が子の雪遊びを録画することに夢中で、遊び終われば高齢者が雪かきした道を歩いてさっさと帰宅する光景を何度も見た。



誰もあてにできない。
自分の身は自分で守る。

幼い頃に形成された歪んだ認知に私は飲み込まれていき、
この後、無謀な行動を起こしてしまう。









【2014/02/22 12:26 】 | 日記 | コメント(0) |
雪 2月8日
2月8日、起きて窓から外を見ると既に一面銀世界でした。

昼過ぎまでは、
ベランダに積もった雪で雪だるまを作ったり呑気でした。


午後3時頃、
何気無く玄関を開けてビックリ。
強風で雪が玄関フロアに溜まっていました。階段にはかなりの雪が積もっていました。





私も母も足が悪いので、
凍る前に玄関からエレベーターまで母とふたりで雪かきしました。





雪かき用のスコップが無いのでちりとりを使いました。
この時点で既に左手首に痛みが走りました。

日付が変わり、雪もやみました。
積雪は、30cm以上。

不安がよぎります。
「月曜日、仕事いけるかな?」


【2014/02/22 12:26 】 | 日記 | コメント(0) |
私の済む東京郊外は、8日、14日の両日30cm以上の積雪がありました。

この雪で、
身体的精神的にかなりのダメージを受けました。

言葉にするのも辛いけれど、
このような現状があるということと、
自分への反省を記録しておこうと思います。

【2014/02/22 12:10 】 | 日記 | コメント(0) |
雪だるま 雪モル







【2014/02/12 19:22 】 | 日記 | コメント(2) |
きんちゃん ありがとう
今朝、金魚のきんちゃんがお空に泳いで逝きました。


金魚すくいで救われて我が家に来てから、12年。

いつもそばにいてユラユラ泳いで癒してくれました。


社会にでるのが怖くて家に籠っていた時も。
膝の手術とリハビリの日々にも。
今の職場で働き始めて何もかも始めてで、必死だった頃も。
EDSだと分かった日も。
父が倒れた日も。
父が逝った日も。
涙の時も。
笑顔の時も。


今朝、水槽の底に沈んでいるあなたを見つけて、すくいあげたら、
微かに動いたね。
もう呼吸はしていなかったから、
痙攣だったのかもしれないけど、
私は、
目を動かし私を見つめ、
ヒレをパタパタ動かしてバイバイをしてくれたんだと思っているよ。



少し寒いけど我慢してね。
仕事から帰ったら土に還ろうね。



きんちゃん。
うちに来てくれて本当にありがとう。
12年間とっても楽しかったよ。

お空のお池で自由に泳いでね。


【2014/02/07 09:40 】 | ペット | コメント(0) |
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